はじめまして♪
ご訪問ありがとうございます!「美月流☆快適育休ライフ」運営者の森名です。
この記事では、森名のプロフィールと快適育休ブログがどんなブログなのか、ということについて書いていきたいと思います。
管理人:森名の簡単プロフィール
はじめまして、森名美月です。
森名美月(もりなみつき)、36歳。
九州のおへそ、熊本県在住のワーママです。
会社員の夫、小1娘、年中息子に囲まれ、毎日にぎやかに過ごしています。
来年3月に第三子出産予定です。
明るい面倒くさがり屋、かつ、三日坊主。
でも、本人はフットワークが軽いだけだと思っています。
仕事以外では、だいぶノー天気でテキトーなので、たまに年中息子から注意されています。
夫と子どもたちが大好きすぎて、困っています。
完全に親バカ街道を突っ走っていますが、一応外面は取りつくろっています(笑)。
家の中では子どもたちの、ほっぺやお尻をなでなでなで♡
年中息子が「大きくなってもお尻さわっていいよ」と言っているので、今度そのコメントを動画に撮ろうと、半分本気で考えています。(言質をとるため)
いままでの人生
森名のこのブログを立ち上げるまでには、こんなことがありました。
- くのいちに憧れた幼少期
- ひとり時間の楽しさに目覚めた小・中学時代(決してぼっちではない)
- 私って三日坊主なのでは?ようやく気付いた高校時代
- 授業もそこそこに、資格取得に燃えた大学時代
- 転職を繰り返し、3社目でやっと腰を落ち着ける
- 夫と結婚。
遠距離交際だったので、同居の距離感がつかめずモヤモヤ。 - 流産の心の傷が癒えず、ピリピリする毎日
- 待望の第一子出産!
- まさかの産後うつに
- 夫の教育と、じぶん時間の確保に精を出す
- フルタイムで職場復帰
- 第二子出産!脱・三日坊主に挑む
- フリーランス目指して、起業塾へ通うが花咲かず
- 再度、フルタイムで職場復帰。
時間厳守の鬼と化す - 管理職となり、チームメンバーをサポートする立場に
- 第三子妊娠←いまここ
管理人森名が育休ブログを書きはじめるまで
まさか!私が産後うつになるなんて
念願の第一子を出産し、「さぁ、今日からママライフを楽しもう!」としていたわたしに産後うつが襲い掛かってきました。
もう、晴天の霹靂!!!
こんなにお気楽☆ご気楽でノー天気なわたしが、そんな繊細な人がかかる心の病気(←当時はそう思っていた)になるなんて。
まったく1ミリも想像していませんでした。
出産後1ヶ月を実家で過ごしたわたし。
実家にいる間にやっていたことは、子どものお世話と食後の皿洗い(自分が食べた分)くらいで、食事やお風呂の準備、洗濯などは母がしてくれ、ゆっくりすることができました。
ただ、母は子育てのほとんどを手伝ってくれませんでした。
私がトイレに行きたくなったり、シャワーを浴びているときは、さすがに代わってくれましたけどね。
「キツイからちょっと抱いててよ」と言っても、「お母さんなんだから、がんばれ!」とスルー。。。
当時はかなり不満に思いましたが、それは母なりの「自宅に帰ったら、自分でお世話をしないといけないんだから、今のうちから慣れておいたほうがいい」という思いやりだったようです。
第二子の出産で帰宅したときは、たくさん手伝ってくれました。
そんな、子どものお世話以外はとても平和な毎日にもかかわらず、少しずついつもと違うわたしが増えていきました。
ちょっとしたことで泣きたくなったり(実際に何度も泣きました)、疲れているけれど眠れなかったり、愛想笑いが増えたり…。
でもその時は、「マタニティブルー」がちょっと長引いているだけ、そのうち治るだろうと思っていました。
引きこもりの毎日
実家への里帰りを終え、自宅に戻ってきたわたしを出迎えたのは、ワンオペ生活でした。
今でこそ転職し、自宅でテレワーク中の夫ですが、当時の帰宅時間は早くて20時ごろ。
遅いときは22時を過ぎていました。
子育てに協力的で、休みの日にはオムツ替えもだっこもよくしてくれた夫ですが、平日は朝7時すぎに出勤し、それから約13時間のワンオペ。
子どもが生まれたのが真冬だということもあり、外はだいぶ寒く、レベル1の新米ママには、産まれて1ヶ月ちょっとの子どもを連れて、気晴らしに外出するなんて勇気は1ミリもありませんでした。
だって、子どもが風邪ひいたらパニックになるもん、きっと。
だから、夫が一緒の土日を除いて約2ヶ月間、じーーーーっと自宅に引きこもっていました。
冬眠かよってツッコミたくなるくらい。
外出大好きでフットワークの軽いわたしには、気が遠くなるくらい長い期間でした。
そしてやってきた、号泣事件
そして、ついに感情が爆発する日がやってきたんです。
その日は、夕方からぐずりはじめた娘。
おっぱいをあげても、オムツを替えても、抱っこしても全然泣き止みませんでした。
頼みの綱の、「おかあさんといっしょ」もダメ。
黄昏泣きだろうから、しばらく抱っこしておけば大丈夫だろう…なんて、新米ママの甘い考えを吹き飛ばすかのように、ちょいちょい休みをはさみながら、4時間もぐずりつづけた娘。
途中、不安にかられて熱を測ったり、ミルクを飲ませてみたりしたものの、原因不明!
挙句の果てには、わたしまで泣きたくなってしまって、気付けば娘と一緒に泣いていました。
そんなときに、ちょっと早めに帰宅してきた夫。
部屋の電気もつけずに、暗闇のなかで娘と一緒に泣いているわたしを発見。
わたしは、「救世主がきた!」と泣きながら玄関に猛ダッシュ!
夫は一瞬、ホラーだと思ったそうですが、すぐに我にかえり「うちのヨメさんがやばい!」と危機感を持ったそうです。
子どもを抱っこしてくれ、軽食をはさみながら深夜までかけて、何時間もわたしの弱音や愚痴、不安を延々と聞いてくれました。
さらなる試練!?熊本地震
ママでも、ちょこちょこ息抜きしないとパンクしてしまうことを、身をもって経験したわたし。
平日に夫がいなくても、お散歩したり、子どもを連れてお買い物や育児の集まりに行ってみようかなーと思いはじめたとき、熊本地震が襲ってきました。
21時26分。
ちょうど夫が帰宅して、晩御飯を食べているタイミングで、寝かしつけを終えたわたしも横に座り、今日のできごとなどをワイワイ話しているときでした。
いきなりのひどい揺れ。
夫が持っていた味噌汁が飛び散りました。
ガシャガシャと落ちてくるキッチンの鍋や皿。
とっさに寝室に駆け込み、娘に覆いかぶさり安全を確保しました。
寝室には落ちてくるようなものはなかったのですが、揺れが収まるまで2人して娘のそばを離れることはできませんでした。
2日後に、まさかの本震。
真夜中のできごとでした。
前回より激しくゆれる家具や、片付けたばかりの食器がぶつかる音。
家の中は危険だと、寝ている娘を連れ、車の中で夜を明かしました。
今思えば、4月中旬で夜もそこまで冷え込んでいたわけではなかったことは、不幸中の幸いだったと思っています。
そして、この2回の地震の間、娘は一度も起きませんでした。
大の字でぐーすかぴー。。。
…図太いのか?
そんなこんなで地震の復興がはじまり、予定されていたイベントや集いは、すべて白紙に。
子どもと気晴らしに買い物に行こうと思っていた大型ショッピングモールも、一時閉店(もしくは食料品エリアのみの開店)となってしまいました。
ひとり時間を強制的に確保しはじめた
再び、息抜きのすべを失ってしまったわたしでしたが、いいこともありました。
わたしが住んでいたエリアが、断水が続いていたこともあり、熊本市の中でも比較的マシで、ライフラインがそろっている夫の実家へ、日中は身を寄せることにしたんです。
今までは、どのくらいの頻度で義実家に訪問すればよいのか距離感がつかめず、季節のイベントや用事のあるときだけ、夫婦で顔を出しているくらいでした。
最初は、「断水中とはいえ、こんなに毎日お邪魔してもいいのかな」と思って、内心ハラハラしていたのですが、義実家はめちゃくちゃwelcomeモードで迎えてくれ、娘のお世話もたくさんしてくれました。
「大丈夫かな、これでいいのかな」と、ビビりながら娘を抱っこするお義父さんを、ほほえましく眺めたり、お義母さんから夫の小さい頃の話をいろいろ聞いたり、一人でのんびり本を読む時間をくれたり、癒しの時間をくれました。
娘のお母さんはわたししかいないんだから、わたしがつきっきりでお世話をしなければならないという思い込みが薄れ、「誰かに頼ってもいいのかもしれない」と思えるようになりました。
ただ、お義父さんもお義母さんも平日は働いていたので、ライフラインが戻ってからは、またワンオペの生活に戻ってしまいました。
さらに、ハイハイをするようになって、行動範囲が広がってきた娘。
新生児の時とは違う毎日に四苦八苦しながら、食事、外出、トイレのタイミングまで、すべての時間を子供に合わせ、やりたいことは我慢する毎日。
子どもの起きている時間も増えたので、自分の時間なんてありませんでした。
月曜はスッキリした気持ちで朝を迎えられても、週末に近づくにつれて心の余裕がなくなっていくわたし。
ちょっとしたことでイライラするようになったんです。
夫へキツイ口調で話しかけたり、娘のことが心から可愛いと思えなくなりました。
「このままじゃダメだ」
罪悪感を抱えながら夫に子供を預け(夫がワンオペを経験するのは、このときが初めてでした)、強制的に娘と離れ、1人の時間をつくりました。
すると、不思議なことにイライラした気持ちなんて短時間で吹き飛んで、「早く夫や娘に会いたいなぁ」、「ぎゅってしたいなぁ」って、ワクワクしながら帰宅することができたんです。
つきっきりだけが、親子じゃない。
いつも心に余裕があって、ニコニコ笑顔のママでいるためには、距離をおくこともアリかもしれない。
そう思ったわたしは、1週間に1度、一時保育を利用して「わたし自身」をゆっくり休めることにしたんです。
え?職場復帰後もフルタイムですって?
週1日の一時保育と、夫や義実家の週末サポートにより、わたしのイライラは無事解消し、穏やかな毎日を送ることができるようになりました。
そろそろ職場復帰を見据え、保育園活動をはじめないと…と思っていたとき、ふと夫に「わたし、職場復帰するの、短時間勤務でいいよね?」と声をかけました。
すると戻ってきた返事は、「教育資金も貯めていきたいし、無理なら時短に変えてもいいから、まずはフルタイムで復帰してくれたら助かるなぁ。俺もできる限り協力するから。」というコメント。
え!?なんですって?
わたしの職場、繁忙期はわんさか残業しますけど?大丈夫なの?
言いたいことはいろいろあったけれど、本人が協力するって言ったんだから、無理でもやってくれるだろうと開き直りました。
目指せ!イケてるパパ!
フルタイムでの職場復帰という目標に向かい、腹をくくった夫とわたし。
少しずつ夫教育をしつつ、戦略をたてはじめました。
夫も頑張ってくれ、今までわたしが分別して玄関に準備していたゴミを、夫が自分でまとめてゴミ置き場まで持っていくことができるようになりましたし、
娘をお風呂に入れるだけだったのに、お風呂の準備から、パジャマを着せてミルクを飲ませるまでの一通りもできるようになりました。
残業で晩御飯が作れないときのために、娘の離乳食のストック数を決めたり、事前に作り置きをして冷凍しておくことを決めたりしました。
もちろん、どこに置いておくのかも共有しましたよ。
買っているのに夫が見つけられないんじゃ、意味がありませんからね。
とりあえず夫には、娘にごはんを食べさせて、お風呂に入れておいてくれたら、100点満点!
あまり期待しすぎないようにしよう、と思っていたのですが…。
私、夫を侮っていたようです。
最終的には、わたしより寝かしつけが上手くなりました。
なんでよー。
できることが増えていくうちに、どんどんイクメン度が上がっていく夫。
今では保育園の送り迎えも、お皿洗いも洗濯も、ちょっとした料理も、ちゃちゃっとこなせるようになりました。
神だ…。
時間はできた。でも、なにかが足りない…
そんなこんなで、無事にフルタイム勤務で職場復帰できました。
産後は短時間勤務で職場復帰したり、出産を機に退職してしまう同僚が多いなか、わたしはまさかのフルタイム勤務での復帰。
「おうちは大丈夫?」「子どもが熱だしたら、しっかり休むんよ!」と、いろいろ気にかけてくれつつ、みんなから大歓迎されました。
育休中に戦略を立てていたので、特に問題なく職場復帰を果たせたわたし。
仕事に育児に家事に、毎日バタバタだけれど、充実した日々を過ごしていたとき、第二子(息子)がお腹のなかにやってきました。
勝手知ったる、二度目の育休。
最初の育休のように新生児の行動に一喜一憂することもなく、1人で抱え込まずに過ごしたおかげで、とてつもなく快適なスタートを切ることができました。
自分の心の健康のために一時保育も利用するようになり、毎日楽しい気持ちで育児に家事に励めました。
でも日を追うごとに、なんかもの足りない気がしてきたんです。
毎日、同じだなーーーって。
三日坊主はやめられるのか?
同じような毎日が嫌になったわたしは、自分史上、最大に難しい挑戦をすることに決めました。
三日坊主をやめることです。
日記を書くも続かず、家計簿も続かず、産後ダイエットも続かないわたし。(←結局第一子のときに、痩せられないまま第二子を妊娠した)。
買うだけ買って積読状態になった本が、本棚に眠っています。
取り組むことはなんでもいいから、とにかく続けられるようになってみたい。
「継続」「習慣」「三日坊主」などのタイトルの本を何冊も読み、毎日のスケジュールに組み込んでいきました。
息子が寝るタイミング(時間、振動、周囲の音、温度)などを細かく把握して、その時間を有効に活用しました。
平日は娘を保育園に預け、大型ショッピングモールに行き、モール内をぐるぐるウォーキング。
息子が寝たタイミングでカフェに入り、デカフェコーヒーを飲みつつ、読書をしたり、気付きをノートにメモしたりしました。
午後はのんびり過ごし、息子のお昼寝のときに、気付きノートや読書の内容、子どものことなど日常のあれこれをアメブロに投稿していました。
続けることが目的なので、できることを気楽にゆるーくやっていました。
最終的に、アメブロは5ヶ月、読書・気付きノートは6ヶ月続けることができましたし、8キロのダイエットに成功することができました。
三日坊主は、もはや性格だと思っていたわたしにとって、平日だけとはいえ何ヶ月も続けることができたというのは、大きな成功体験になりました。
わたしだって、やればできるんだ!そんな大きな達成感を得ることができた、二回目の育休でした。
そして、またもやフルタイムで職場復帰。
夫に対する不安は1ミリもありませんでした。
チームの人数、減らしていい?
わたしは続けられる女だ!と意気揚々と職場復帰して、しばらくは気付きノートやアメブロを更新していました。
育休中のように、朝の時間に余裕があるわけではないのですが、それでも夫の協力(保育園の送り迎え)を得て、就業時間よりだいぶ早く出勤し、休憩ルームでノートを書いたりしていました。
そんなある日。
上司から「できる限り自動化できるようにしていくから、チームのメンバー減らしていい?」と打診が。
いや、これ、すでに決定事項でしょ。
抗うすべもなく(抗う気なんて全然なかったけど)、チームリーダーをしていた男性が、同じフロア内の別チームへ移動になりました。
この人事異動により、わたしが入社した10年前のチーム人数の、ちょうど半分になってしまいました。
チームメンバーはフルタイムが2人(わたし含む)、ミドルタイム(フルタイムより勤務時間が1時間半短い)が1人。
メンバーは全員、7年以上勤務のベテランとはいえ、なんとも心もとない人数…。
仕事の量も、すぐには変わりません。
さらに、元チームリーダーの彼がやっていたリーダー業務をわたしが引き継ぐことになり、少人数のチームとはいえ、気付けばリーダーとしてメンバーの勤怠や仕事の進捗、業務改善などを管理する立場になっていました。
元チームリーダーの彼はマメで、几帳面。
自分の仕事を今までどおりにしつつ、彼のリーダー業務を引き継ぐなんて、何時間残業しても足りませんでした。
できるだけ残業したくなかったわたしは、大切な朝のじぶん時間を削ることを選びました。
それでも、残業が発生する毎日。
人事異動で大変なことを夫も理解し、協力してくれていましたが、ずっとこのままでいいはずがない。
さっさと仕事を終わらせて、家で子どもと過ごしたい!
子どもの起きている顔を見たい!
夫の負担を増やしたくない!
あふれ出る思いに背中を押され、わたしは時間の鬼になりました。
時間がかかる割に効果の薄いことはしない、リーダーでないとできないこと以外は抱え込まない。
メンバーの得意不得意に合わせて、割り振る仕事の分量を変える。
ときには仕事を断る。
メールは、時間を決めてまとめて一気に返す。
資料やメールはヒマなときに型を作っておいて、イチから書かない。
事前の根回しを忘れないなど、時短の本を読みつつ、少しずつ仕事に取り込みました。
そんな毎日をすごすようになって2年、うちのチームが部署内で一番安定しているチームとみなされるようになりました。
また、他チームのあふれた仕事を手伝っているにも関わらず、部署内に8人いるチームリーダーのうち、一番残業時間が短いリーダーになりました(朝のじぶん時間も取り戻しましたよー)。
そして今…
そして2022年7月、新しい命がお腹にやってきたことがわかりました。
23年3月に出産予定です。
嬉しさ半分。驚き半分。
いや、それ以上に今度はどんな育休を過ごせるか、わくわくした気持ちを抱えながら、業務の引継ぎに追われています。
このブログで伝えていくこと
育休は、今後の生活のシミュレーション期間
2度の育休と職場復帰を経験して実感したこと。
それは、「育休を、ただ育児のための休みにしておくのは、もったいない!」ってこと。
育休をとおして、ママとして、社会人として、ときにはヨメさんとして、じぶんの時間や心の余裕のつくりかたを知っておくことで、今後の生活をもっと心豊かに変えることができます。
「多分、わたしなら大丈夫」っていう、根拠のない自信もつきます(笑)
このブログには、わたしが考えたこと、悩んだこと、やってみたこと、成功・失敗談など(もちろん、三回目の育休で経験することも)をまとめていきたいと思っていますので、参考の1つとして読んでいただければ嬉しいです。
そうそう!
産後に職場復帰を予定しているママは、夫教育も忘れないで!
慌てず焦らず、育休中に少しずつ頑張っていきましょう。
育休が終わったときに「やりきった!めちゃ楽しかった!」と思えることを祈っています。
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